社会的または歴史的な必然性というものが存在すると信じて疑わない人たちがいる。この場合の必然性とは、つまり時宜を得て、早すぎることがなければ、複数の人間がそれぞれ別々に、将来重要な新技術となるアイデアを発明するというものだ。
これに対して、私はもっと懐疑的な考え方をしている。たとえば、ニュートンやライプニッツよりも前に微積分法を発明した人がおそらく何人かいただろうが、これらの人々はそれを一般に普及させることができなかったというように。つまり、問題は発明の機が熟しているかどうかではなく、社会のほうでその発明の意味(重要性)を受け入れる準備が整っているかどうかだと、私はそんなふうに考えている。